出張レーザー測定サポートサービス(FARO社レーザートラッカー、アーム)のナベヤ製作所JMS事業部

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2014年06月24日 バンコク
五島

6月19日~22日までバンコクで開催された MANUFACTURING EXPO 2014を見学して来ました。

心配された戒厳令も解除され かなり大きな会場で盛況に行われていました。

日経企業は勿論 中国、台湾、シンガポールの企業が多いのにも目が付きました。 

バンコクでは 昨年実施された 実質自動車税0政策で 新車需要が一気に増えたものの ローンを組めない人たちのキャンセルオーダーが100万台以上に膨れ上がり その在庫調整の煽りを受けて 自動車経済を中心に芳しくない様でした。

当然 タイにも活動拠点を置くFARO社も出展していて タイではいつもお世話になる 高橋マネージャーとも 1年ぶりに再会することも出来ました。

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2013年06月24日 ボーイング視察 エバレット工場(現地時刻2013.6.10)
五島



500M x 1000M x 35Mの巨大工場で747 767 777 787を製造
44,000人が3直(月~金)

747ライン
747-8は600万個の部品を組立 
-400との比較は5.6M長い76M 16%の積載UP 460名乗 105機オーダー中65機がフレーター 16%の燃費向上 離陸重量447トン ペイントには3~11日 
ファスナー結合 エンジンはGEのみ
プライベートジャンボは2年がかり

777ライン
777-300は300万個の部品を組立
工場内2か月 ムービングラインは30mm/分 航続距離14500㎞ 360人乗

787ライン
787は240万個の部品を組立 120万個のファスナーが無くなっただけでも軽量
(因みに500個で10kgとして24トン)
787-8(240人乗)航続距離15,000km
787-9(290人乗)航続距離15,700km
1000号機に至るに 767が30年に対し 747は25年 777は18年
777は注残350機 787は注残890機 50機納入中 ANA17機 JAL7機
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2013年06月24日 ボーイング視察 レントン工場(説明はゴードン氏)
五島



737工場

工場はトヨタのTPS習得の為 1992年にトヨタへ人を派遣 後の1993年にボーイングプロダクションシステム(BPS?)を独自で考え 1機完成に22日掛かっていた737の組立を11日に短縮、その2年後には8日までに縮めた このムービングラインは1分間に5.87cm移動 大きな動きは夜の23:30にムービング
アンドンシステムで見える化を計り 進捗は現場上がりの者がトラブル対策 正常は緑 トラブル発生2時間以内はオレンジ 2時間以内は紫
因みに標準外作業者は(PIT BOSS)

737は1967年にスタートし -700(136人乗) -800(150-189人乗) -900(200人乗)
現在3800機のオーダーがあり7年のバックオーダーあり

今後 737MAXの開発で737-900より燃費を13%向上 これはA320より8%燃費が良い 特徴ある上下2枚に別れたウィングレットだけで燃費を1.5%ダウン
2016年ファーストテクノロジー

737ラインは現在 19機/月を2ラインの38機/月を生産 2014年3月には21機/月にUP
2015年から737MAXも生産 今後の目標は21機X3ライン

CIパス 製造から納品までの流れは 2週間工場→3週間ペイント&フライトテスト 6週目にカスタマーとのクレーム確認 対応して引き渡し テストパイロットは20名
ンジンはGEとフランスの合同で 製品は台湾で作らせる 4つのエンジンの組み立ては8時間

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2013年06月24日 ボーイング視察 オーバン工場(現地時刻2013.06.11)
五島



月曜日に各部署の責任者がプレゼンテーション(情報公開は各部署の責任)
1450名が3直 24H
工場の至るところに3次元測定器 20度設定
修正職場には治具ボーラ―がずらり
60%が通常作業 40%がトラブル用(サプライヤーを含む)に空けてある
主な加工品は Plckle fork (翼の付け根の翼が動くところからストレスをなくす部品
プログラムの生産技術に能力あり(加工はアルミ70% チタン30%)
マシンオペレーターは土日に教育 バリ取りは賃金が安い人を使う

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2012年01月05日 辰年 2012
五島



新年あけましておめでとうございます。

本年もJMS測定事部は1月5日の測定を皮切りに西へ東へ日本に 治まらずアジア全域に飛び回ります。
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2011年11月21日 ボーイング787型機
五島

11月1日岡山空港から羽田空港までボーイング787に初搭乗しました。

最新鋭だけあり 全てに新しい物が採用されており 驚きの連続と

今後の活躍を期待したいです。

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2011年10月13日 ベトナム
五島

ベトナムのことは ほとんど知らずに出かけた アオザイ?っていう感じでしたね
ベトナム戦争もプラトーンなどのアメリカに都合の良いストーリーで作られているので、あまり攻撃される側の国(ベトナムなど)の悲惨な面は伝えられない。
実際戦場となった犠牲者の数からしてもアメリカ以下 連合軍が5万に対してベトナムは市民を含む300万人
数だけで言えば 60倍の悲しい出来事が本土で繰り返されたわけです。
もともとベトナムの南北統一をめぐっておきたこの戦争だが、実際には南ベトナムを支援したアメリカ、北ベトナムを支援したソ連、中国など政治的戦略がある

「戦争証跡博物館」にはベトナム戦争の痕跡が生生と展示してあった
銃口を頭につきつけられるベトナム人女性の写真
人間の死骸を誇らしげに手づかみする米兵の写真
枯葉剤の影響で奇形になってしまった胎児のホルマリン漬け(枯葉剤については 親子三代にまで影響するという)
目を背けたくなるようなものが展示されている。
これも同じ人間が起こしてしまった歴史、目を背けてはいけない

戦争に係った全ての者が 殺らねば殺られるという恐怖と 仲間を殺された憎しみ 悲しみ 怒りを繰り返すうちに まさにキチガイと化したのだろうと思う
ベトナムの関係のない市民にしてみれば 身内が目の前で殺される訳で 尋常で居られる筈がない

メディア報道が自由にされ 戦場カメラマンの、命がけで残した記録「安全への逃避」がある
しかしこの写真を撮った沢田教一氏もピューリッツァ賞を受賞の5年後狙撃されている 自分以外全てが敵である

なんともアメリカ軍のスパイとしてベトナム人300万人がアメリカへ逃げたというのも信じがたい話もある

歴史は繰り返されると言うが このような悲劇が繰り返されぬ様に次世代に引き継ぐ任務が我々一人一人にあるのではないでしょうか

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2011年09月13日 アメリカ同時多発テロを思い出す【2】
五島

カナダでは午後7時までにホテルへ帰りさえすれば
自由に ショッピングなどして過ごせた。
 
数日後 飛行機が飛ぶという情報が入り いざ空港へ
12時に空港へ到着してから ボランティアの人に コーラとサンドウィッチを配給され 出国審査へ
 
カナダは私にとって好印象の国である
 
空港までは来たものの 延々に空港のロビーで待たされること 8時間 
夜8時過ぎにやっと自分の取り調べTIME
 
30分の取り調べには カナダで履いた下着から全てチェックされた
 
電源の入らない携帯やカメラは没収(俺はセーフ) 
勿論 入国には先端のとがった物は全て没収が条件だ
検査官は全てマッチョの女性軍人が2名で行う 
 
やっと搭乗出来た機内には 帰国目的のアメリカ人のみ
ジャンボジェットの客席はガランガラン 
シートを開放して大の字で眠りについた
 
飛行機はいつの間にか離陸し 朝方5時近く デトロイト空港へ無事着陸した
 
空港には日系企業で働く ルーマニア系アメリカ人が空港まで迎えに来てくれた 
合うのは初対面である
アメリカ滞在中にはホントに世話になった
 
なんとか入国したものの SMXのレーザートラッカーはなんと
アメリカ側の技量不足で イギリスへと移行した後だった(泣き)
 
目が点とはこのことだ!
 
さて帰るにも 日本行きの飛行機は未定のままである
約10日間 コンドミニアムでの生活を余儀なくされた
予定していたシアトルでの野球観戦 
シカゴでの休日はすべてキャンセル
 
テレビは映画CM番組以外 テロのニュースのみである
街行く車の多くは星条旗を掲げている
 
私は アメリカから会社を撤収する知り合いの社長に付き合つた
銀行から病院 いろんな公共機関も回った いろんなシステムを教わった 
結論として 権利と義務がはっきりしていてこそ自由国家 
外から見た日本は社会主義同様と言う事だ
 
アメリカンドリームは凄かった 
紹介された中小企業のボスが 真っ赤なコルベットのオープンカーに乗り
自分の買った湖に招待してくれた(ボスの会社はもうない これもアメリカン)
 
また他の中小企業のボスはフロリダのディズニーリゾートと同様の土地を有していた
 
寿司屋~イタリアン いろんな物を食べ歩いた 
 
そんな中 ドイツを中心とした ヨーロッパ人の避暑地 フランケンムースで バイキングの祭りが行われる場所に連れて行ってもらった 毎年派手に行われているようだ
ヨーロッパから長い休暇を使い来ている人と 地元民で盛り上がっていた 
牛や豚の丸焼きがあちらこちらで行われている
そして大人も子供もバイキングスタイル それも本格的
 
時差のあるアメリカと日本 
仕事は夜 電話で行った 請求金額10数万(汗)
時の人となっていた私に 皆さん協力してくれた。
 
日本に帰ってから 守られすぎた日本を常に実感している
 
また あのテロで犠牲になられた方々の ご冥福をお祈りします。
 
35歳 秋の出来事である

 
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2011年09月13日 アメリカ同時多発テロを思い出す【1】
五島

アメリカ同時多発テロから10年が経過した 
 
まだレーザーとラッカーがSMXと言うブランドだったころ【後にFAROが買収】
修理に出したはずのレーザーとラッカーが戻らず アメリカはデトロイトまで足を向けていた 
 
フィリピンマニラ発アメリカデトロイト行のノースウエスト航空機
ジャンボジェット機は ほぼ満席で 主に出稼ぎに向かうフィリピン人が大半
帰国につくアメリカ人と若干の日本人と言った感じである
 
エコノミー席での長旅で疲労困憊していた。
飛行機が 着陸態勢に入った頃 
何故か飛行機は再浮上した。
 
機内アナウンスでは 「着陸許可がおりない為別の空港に着陸する」
 
ざわめく機内
 
しばらくしてまたアナウンス 「飛行機は カナダのウィニペグにある空軍基地に着陸する」
 
機内スクリーンに目をやると 地理的には デトロイトから約2,000キロ離れた辺り北緯50度辺りの街である
 
アナウンスでの説明は 「ハイジャックではない」「全ての飛行機がアメリカ上空から降ろされた」
「着陸後も機内からでない様」
 
日本人スチュワーデスも事を呑みこめず 日本人である私らに寄り添う 
この状態で時が流れたが 不思議と恐怖感は感じられなかった。
 
午後3時 機長から説明が「アメリカで国内で飛行機によるテロが発生した そのため当機でも これから取り調べが行われる」
 
一報と共に シェパード(警察犬)と武装警備員が数名 機内に入ってきた 
 
要するに 国内に入ろうとする全てを対象に容疑者である
 
それから待つこと 数時間 容疑者である私達一人一人に軍人が付く 
かなりのマッチョマン
おれは午後8時に機内から降ろされた
勿論私にもマッチョマンが同行する 連行より同行が正しいだろう 
機関銃を装備した 武装警備が等間隔に並ぶ通路を 
飛行機のハンガーまで歩く 荷物はマッチョマンが持ち 私の後ろを歩く
 
ハンガーとは飛行機の格納庫のことで野球場くらい広くガランとした建物だ
ここには ウニペグに降りた旅客機の全ての荷物と 先に降ろされた乗客が燦々としていた
 
特に目立つのはフィリピン人とその荷物である 
ビニールで包んだ食材を段ボールに入れて持って来ているようだ 
梱包された荷物は 確認の為 全てナイフで切られ中身の確認をしている
キムチの様な匂いがハンガー内を漂う
 
取り調べでは 何しにアメリカへ来たのかと 英語で問い詰められる 
 
取り調べは20分ほどで終わり 自分の荷物を受け取れたのは 夜の11時を回っていた。
 
9月のウニペグはもう寒い 写真はその時俺についた軍人である 
年齢はまだ若く気さくな奴で写真にも応じてくれた
 
案内されたスクールバスに乗せられ ノースウエスト航空が手配してくれたホテルへ2時間近く走った
 
後で聞いたのだがウィニペグには旅客機3機が下りただけだった
トロントには数十機が降ろされ 寝泊まりするホテルもなく 体育館等での雑魚寝状態だったらしい
 
ホテルで簡単な説明を受けチェックイン 
明日からは 夕方の点呼までに ホテルへ戻る様 指示はされたが 後は自由のようだ
早速自宅へ電話をしようにも ホテルの電話はパンク状態である
 
しかたなく 1キロほど先に公衆電話が有る事を聞き 
真っ暗な夜道をひたすら走った
自分の所在を家族に連絡した カナダに居る事にびっくりした様子だった
 
嫁さんはホッと感から終始笑い声 
お袋は120%心配感もろだしだったのを覚えている 
そこでアメリカへ渡る事を伝えた
 
最近 娘との会話で 
当時5歳の娘が カナダからの私の電話で会話したことを
ピイポイントで覚えていると言っていた
 
日本人ビジネスマンは会社の指示で日本へ撤収 
トヨタの社員だった 
当然旅行社のツアーも中止
翌日には 日本へUターン帰国した
 
俺はアメリカ上陸を希望した為 カナダのビザを貰っていた
何時飛ぶかわからない飛行機を待つことに
状況が呑みこめると 航空会社はホテル代の片持ちを拒否した
怒ったのはフィリピン人 
彼らには ウィニペグ市の計らいで トロント行きのバスが用意され フィリピン人は全て移動した。
 
残ったのはアメリカ人+α 
数少なくなった私たち難民のホテル代は ウィニペグ市が支払ってくれた(感謝感謝)

 
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2011年07月11日 boeing787
五島

7月10日 中部国際空港にボーイング787が飛来しました。
2008年の飛来予定から 随分先となりました。
JMSでも ドリームリフターの内臓機構にの測定を ドイツ シグマ3D社と共同でおこなったことが 一昔前のような気がします。
製造でも 治工具から本機部品まで 携わり 思い入れのある飛行機となりました。


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