アメリカ同時多発テロから10年が経過した
まだレーザーとラッカーがSMXと言うブランドだったころ【後にFAROが買収】
修理に出したはずのレーザーとラッカーが戻らず アメリカはデトロイトまで足を向けていた
フィリピンマニラ発アメリカデトロイト行のノースウエスト航空機
ジャンボジェット機は ほぼ満席で 主に出稼ぎに向かうフィリピン人が大半
帰国につくアメリカ人と若干の日本人と言った感じである
エコノミー席での長旅で疲労困憊していた。
飛行機が 着陸態勢に入った頃
何故か飛行機は再浮上した。
機内アナウンスでは 「着陸許可がおりない為別の空港に着陸する」
ざわめく機内
しばらくしてまたアナウンス 「飛行機は カナダのウィニペグにある空軍基地に着陸する」
機内スクリーンに目をやると 地理的には デトロイトから約2,000キロ離れた辺り北緯50度辺りの街である
アナウンスでの説明は 「ハイジャックではない」「全ての飛行機がアメリカ上空から降ろされた」
「着陸後も機内からでない様」
日本人スチュワーデスも事を呑みこめず 日本人である私らに寄り添う
この状態で時が流れたが 不思議と恐怖感は感じられなかった。
午後3時 機長から説明が「アメリカで国内で飛行機によるテロが発生した そのため当機でも これから取り調べが行われる」
一報と共に シェパード(警察犬)と武装警備員が数名 機内に入ってきた
要するに 国内に入ろうとする全てを対象に容疑者である
それから待つこと 数時間 容疑者である私達一人一人に軍人が付く
かなりのマッチョマン
おれは午後8時に機内から降ろされた
勿論私にもマッチョマンが同行する 連行より同行が正しいだろう
機関銃を装備した 武装警備が等間隔に並ぶ通路を
飛行機のハンガーまで歩く 荷物はマッチョマンが持ち 私の後ろを歩く
ハンガーとは飛行機の格納庫のことで野球場くらい広くガランとした建物だ
ここには ウニペグに降りた旅客機の全ての荷物と 先に降ろされた乗客が燦々としていた
特に目立つのはフィリピン人とその荷物である
ビニールで包んだ食材を段ボールに入れて持って来ているようだ
梱包された荷物は 確認の為 全てナイフで切られ中身の確認をしている
キムチの様な匂いがハンガー内を漂う
取り調べでは 何しにアメリカへ来たのかと 英語で問い詰められる
取り調べは20分ほどで終わり 自分の荷物を受け取れたのは 夜の11時を回っていた。
9月のウニペグはもう寒い 写真はその時俺についた軍人である
年齢はまだ若く気さくな奴で写真にも応じてくれた
案内されたスクールバスに乗せられ ノースウエスト航空が手配してくれたホテルへ2時間近く走った
後で聞いたのだがウィニペグには旅客機3機が下りただけだった
トロントには数十機が降ろされ 寝泊まりするホテルもなく 体育館等での雑魚寝状態だったらしい
ホテルで簡単な説明を受けチェックイン
明日からは 夕方の点呼までに ホテルへ戻る様 指示はされたが 後は自由のようだ
早速自宅へ電話をしようにも ホテルの電話はパンク状態である
しかたなく 1キロほど先に公衆電話が有る事を聞き
真っ暗な夜道をひたすら走った
自分の所在を家族に連絡した カナダに居る事にびっくりした様子だった
嫁さんはホッと感から終始笑い声
お袋は120%心配感もろだしだったのを覚えている
そこでアメリカへ渡る事を伝えた
最近 娘との会話で
当時5歳の娘が カナダからの私の電話で会話したことを
ピイポイントで覚えていると言っていた
日本人ビジネスマンは会社の指示で日本へ撤収
トヨタの社員だった
当然旅行社のツアーも中止
翌日には 日本へUターン帰国した
俺はアメリカ上陸を希望した為 カナダのビザを貰っていた
何時飛ぶかわからない飛行機を待つことに
状況が呑みこめると 航空会社はホテル代の片持ちを拒否した
怒ったのはフィリピン人
彼らには ウィニペグ市の計らいで トロント行きのバスが用意され フィリピン人は全て移動した。
残ったのはアメリカ人+α
数少なくなった私たち難民のホテル代は ウィニペグ市が支払ってくれた(感謝感謝)
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